【第543号】平成28年07月22日
竹田和平さん逝去
こんばんは、きとうです。
昨日、竹田和平さんが亡くなられたという衝撃的な一報が届きました。
僕が、30歳を過ぎた頃、一生懸命に教えを請うた、日本一の大投資家と呼ばれた和平さん。
なんのツテもなかったが、和平さんの存在に憧れ、手紙を送ったら運良く気に入られ、半年くらい毎日いっしょに過ごした時期があった。
気がつけば、お互いの自宅を行き来するくらい可愛がってもらった。
本当に和平さんのことが大好きだった。
出会ったとき和平さんは72歳、居酒屋事業を売却する半年くらい前だったから、もう11年が経つ。
当時、遺伝子工学で有名な村上和雄さんの講演CDで、目標となる人物を持つと遺伝子レベルでその人に近づいていく、という話をしていたのを聞き、和平さんを目標として定めた。
なんとなく、近づけそうな予感もあった。
すぐに和平さんの本や雑誌を買い集め、和平さんの関心のあるテーマを調べて、これなら必ず返事が来るであろう手紙を執筆し、一方的に送った。
すると翌日すぐに「いまから昼飯いこう」という返事がきた。
わたしは急いで出かけ、一緒に昼飯をたべ、その後3時間くらい昔話を聞かせていただいた。
若い頃、北海道に1人で移住し、菓子屋を立ち上げ、パイナップル味のお菓子がヒットして倒産の危機を乗り越えた話が印象深い。
初めてお会いしたとは思えないくらいの盛り上がりをみせ、
「そろそろお時間が」と告げに来た当時の秘書に
「おれ、こいつ気に入った!」と叫び、
わたしに、「金がいるときはいつでも言ってこいよ。10億くらいなら2日もあればいつでも用意できるでよ。その代わり、儲かったら半分持ってこいよ」
と、和平さんはおっしゃった。
「半分は持ってきすぎじゃないっすか~」と笑いながら言ったら、「それが旦那のええところだがや」と返された(笑)
初めて会った時、和平さんが出していた旦那の空気感が忘れられない。ものすごく大きな存在だった。
その後、会社を売却し、時間があったので、ほぼ毎日、竹田本社に遊びに行く生活が続いた。和平さんが、貯徳問答講をスタートさせた頃だった。
和平さんの立ち上げた貯徳問答講の第1回の会員No.1が和平さん、No.2は実は私だった(笑)
当時、和平さんが豊山に所有していた、わくわくボールの一角にあるリフレという温浴施設にいって一緒に風呂に入り、デニーズで飯を食って帰る毎日を過ごすことで、今の自分の人生観は作られていったように思う。
いく先々で親子に間違えられてのが懐かしい。
和平さんは、いつも「おみゃーは絶対に金持ちになる。おれと同じ耳しとるでよ」と励ましてくれた。日本一の大投資家に言われると、そういう気持ちになるものだ。
リスクを恐れず攻めていけるのも、和平さんの言葉があったからだと感謝している。
そんな感じで、人生の中で最も大きな影響を与えていただいた和平さんが亡くなられた。
この現実は受け入れ難く、ただ悲しくて仕方がない。
この10年間で、和平さんに匹敵する資産を事業によって作り出し、それを軍資金にして、和平さんの夢見た世界を作り上げていくと、この場を借りて約束したい。
和平さんの志をしっかりと受け継ぎ、徳の世を開いていくことは、夢物語ではなく、実現可能な夢だと信じております。
言葉ではなく自らの行動で、和平さんへの感謝を伝えていければ、と思う。
和平さん、本当にありがとうごさいました。
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